2016年12月2日金曜日

プロジェクト学習やアクティブラーニングこそ、アートが必要

実学とは距離があると思われるアートは、実は実学の礎であるというお話。
ニューヨーク近代美術館で、子供たちが先生とアート作品を見て回る。先生は「この絵を見て何を思う?どう感じる?」と子供たちに問いかけ、子供たちは、思い思いに「苦い!辛い!」とか、「なんか怒ってる感じ」とか、自由に感想を表現する。日本なら先生がアート作品の説明をして〆る。
でもこの先生は子供たちの感想をひとしきり聞いて「そう、では次に行きましょう」とそそくさと次のアート作品に行き、同じことを繰り返す。子供たちの「寒い!お腹にどーん!って感じ」という言葉が美術館に響いていた。

プロジェクト学習やアクティブラーニングなど、生徒が主体的に意見を言う場面が多い時ほど、意見を言う生徒は大体において決まっている。クラスで自分の意見を述べる生徒が大体決まっているのと同じこと。
意見を言える生徒と、そうでない生徒は何が違うのだろうか。
アート関係の仕事の方に聞いたことがある。アートの社会的な意義は何かと。今思えばかなり失礼な質問だったかもしれないが、彼は「アートの前では人は平等であり、自由だ」と教えてくれた。
「アートには答えがない。一人一人の感覚や考え、解釈があってこそ。そこに答えはないし、解釈は多種多様でいい。むしろ、アートに対する解釈や感想が、自分の感覚に気づかせるきっかけになる。」と教えてくれた。作者とか、作者の思いよりも、まずはアートを通じての感想は自由だ」ということだそうだ。
アートを通じた感想には正解がない。故に誰かに評価されるものではなく、自身の感想を堂々と述べて良い。全ての感想が答えであり、多種多様であるほど良い。そんな環境で感想や意見を述べることに慣れた子供たちは、自分の感想や意見を物怖じせず言えるようになるのではないだろうか。

「寛容からこその挑戦」と誰がが言っていた。
アートは寛容であり、だからこそ、その前では挑戦が生まれる。その連続が自身の意見に自信を持つきっかけになるのではないか。
プロジェクト学習やアクティブラーニングでは、生徒の主体的な関わりが求められる。主には自身の意見を発することだ。そのチカラを育むのにアートは有効なのではないか。
ジョブスは、技術を通じて人を自由にする、という価値観で数々のプロダクトを生み出してきた。
彼にとって、アートも文字通り、技術なのだろう。
だから、プロジェクト学習やアクティブラーニングこそ、アートが必要で、
実学とは距離があると思われるアートは、実は実学の礎であるというお話でした。
ニューヨーク行きたいです。